袖振り合うも多生の縁
貴方もご存知のとおり、「袖振り合うも多生の縁(袖すり合うも多生の縁)」ということわざがあり、「多生」や「他生」の同音語である「多少」が使われているケースも多く見聞きしますが、それは誤りで、本来の説としては2通りあり、
1.袖振り合うも多生の縁
何度も生まれ変わってきた過去世において縁があったという意味
または、
2.袖振り合うも他生の縁
現世から見た、過去世や未来世での縁という意味
として使われるのが正しいとされています。いずれも、
「本当にちょっとした関わりのように思える縁であったとしても、深い宿縁によるものであって、偶然ではない」
という意味です。時代が移り変わった現代では、インターネットを通じてつながる縁も「袖振り合うも多生の縁」と言えると思います。貴方が、このサイトにたどり着かれたことも、貴方と当サイトの管理人との間に、
過去世からの宿縁
過去世・現世・未来世の三世にわたる縁
が、あってこそのことと拝し、心より歓迎致します。
信じる者は救われない。
当サイトは、管理人である 桜蓮 & みねこ が運営致しておりますが、
桜蓮 は、
創価学会員の二世として生まれ、積極的に活動していた、元創価学会員 でした。
みねこ は、
本当に力のある宗教を求め、数多の宗教を渡り歩いた宗教ジプシー でした。
信じる心がどれだけ純粋であったとしても、
信じる対象が正しくなければ、正しい結果は出ません。
ええ、絶対に出ません。残念なほどに。
誤った宗教観をもっていた間に失ったものは、実に大きい。私達は、そのことに気付き、日蓮正宗の信徒となりました。
日蓮正宗の信徒となって、一番驚いたのは「自分の努力が、正当に報われる」ということでした。とても当たり前のように思えることでありながら、これって、当たり前ではないんですよ!間違った宗教に関わっていたら、何をやっても間違った結果しか得られません。
それって、なんで?
→ 私達の命は、「感応する」という性質を持っているからです。「朱に交われば赤くなる」という言葉も、周囲の縁によって感応する私たちの生命のはたらきを指したもので、人は、関わる相手や環境によって良くもなるし、悪くもなる(同調し、染まる)性質がある という意味です。
例を挙げてみますと、
というようなことがありますが、これがまさに「感応」です。良い縁に感応したA君と、悪い縁に感応したB君。良い友達にせよ、悪い友達にせよ、その相手に対して好感をもって積極的に関わるがゆえに、相手の影響をより強く受けます。
また、こちらは違うケースですが、
これもまさに「感応」と言えるでしょう。このケースは、その人が長年生活している「京都」という土地の風土・言語に染まり、感応した。つまり、人は、特定の相手に対して好感をもっているわけではなくとも、関わる期間が長ければ長いほど、知らず知らずのうちに周りの環境に影響を受ける、ということです。
貴方の家の宗旨(宗教)は、何ですか?
貴方自身が、いずれかの信仰を持っておられる場合、その宗教は何ですか?
貴方自身が熱心にその宗教を拝むと、先述のA君・B君と同じように、その宗教の影響(感応)を、より強く受けます。
或いは、貴方自身は「宗教は何も信じていない」というスタンスであったとしても、貴方の両親や祖父母、曾祖父母…と、先祖のお墓がどこかにあり、何れかの寺院を菩提寺と定めて来ておられるはずです。
このことは、貴方が意識する・しないにかかわらず、貴方の家族は全員、自らの意志で改宗しない限り、その宗派の信者であることを意味します。
さらに、貴方の信仰とは別に、身内(先祖)の宗教はまた別にあり、そちらにもお参りして礼拝・布施等をしている、というケースもよくあると存じます。そういう場合は、さらに、
ご自身の父方の宗教・母方の宗教・親戚の宗教、
配偶者がおられる方は、
配偶者の父方の宗教・母方の宗教・親戚の宗教…と、
関わる宗教の数が多ければ多いほど、関わる年数が長ければ長いほど、先述の「他府県から転勤で京都へ移り住んだ人の例」のような感じで、数多くの宗教からの影響(感応)を受けます。
私自身が、この後者の状態でした。
幼少期から、俗にいう「霊感」があったためか、異常に先祖を大事にする子どもでした。それこそ、大昔に亡くなっていて、会ったことも無ければ遺影すら残っていない、つまり写真ですら見たこともない先祖の供養も、必死でしていました。
その結果「あちらからも、こちらからも、ご利益が頂けて、ラッキー!」とは、ならずに、私の人生はどんどんえげつないことになっていきました。(その辺りの詳しいことは、みねこの自己紹介のページ参照)
何であれ、心の拠り所を持つことは、本人の気休め程度にはなるかもしれません。しかし、その気休めという名の自己満足で不幸の原因を上塗りしていったら、気休めだなんて言ってられなくなります(なりました!)。そして24歳の時に、満身創痍で日蓮正宗の信徒となりました。
相方の管理人である 桜蓮 は、元創価学会員でした。創価学会でめちゃくちゃ頑張って信心をした結果、同じく満身創痍となり、脱会を決意し、日蓮正宗に帰依しました。(その辺りの詳しいことは、桜蓮 の自己紹介のページ参照)
「信じる対象を間違えると、こんな目に遭うんや」ということを思い知ったのちに実感した、「信じる対象が正しいと、こんなに差が付く果報が得られるんや」という、圧倒的な本物の仏力。
私達のそういう体験を通して、貴方自身の信仰や宗教観、そして、貴方の家(先祖)の宗旨について、今一度見つめ直して頂く機会になればと願い、当サイトを開設しました。
● 信仰(宗教)って、そもそも何や?
● 宗教って、年いって死が近くなってきたら、楽に死にたいと思って慌ててやるもんやん? 自分はまだ若いから関係ないと思うけど?
● 神様、仏様、キリスト様、とりあえず大事そうなものは、何でも大事にしといたらええんちゃうん?
● 何を拝んだらどんな影響があるん?
そんな素朴な疑問も、そして、誰にも言えない悩みや不安も、ひとりで抱えていないで、私達にどんどんご相談ください。
勇気は一瞬、幸福は一生。
貴方が踏み出される一歩を、私達は全力でサポートさせて頂きます。
管理人(桜蓮 & みねこ)